9月に入り学校は2学期を向かえている。この時期になるとそろそろ運動会のシーズンと言う事になる。全校生徒が紅白の帽子で二分され、競技や演技を父母の前でアピールするのは、学校行事でもこの機会ぐらいだろう。
しかし、その運動会が数年前から良からぬ方向に進んでいることをご存知であろうか。
昨今の教育現場では学級崩壊が囁かれており、いじめや不登校、更には生徒が集団で教師に対し暴行を加えたり、果てにはいじめを苦に自殺する小学生まで出てき始めている。
その全ての根幹にあるのが、「いじめ」である。
その「いじめ」の元となる部分を無くせばいいのではないか?
恐らくそう誰かが考えたのだろう。そしてそこに運動音痴が原因でいじめられていた生徒がいたと思う。
そして行き着いた結論がこれだ。
運動会の中でも個人競技である徒競走において、足の早い人も遅い人も、全員が併走して順位付けを行わなければいいのではないか?
徒競走なのに競争しないとは馬鹿げた事かと思うかもしれない。しかしこれが今、小学校の運動会でも平気で行われようとしているのだ。
私は思う。
これは職務放棄以外の何物でもない。いじめが起こったら、それを治めるのが教師としての勤めではないのであろうか。
人が集まれば当然意見の食い違いも起こり得る。それが精神的に未熟な子供であるならば、いじめに発展してしまう可能性があるのは分かっていると思う。
これを考えた教師は、今起こっているいじめに立ち向かおうとする意思があるのであろうか?大変疑問である。
これについて教育委員会はどう考えているのか?意見を聞いてみたいところである。
もし仮に、これを教育委員会が容認しているようであれば、重大な教育問題に発展する可能性もあるのだ。
まず上記の通りの事をすれば、運動が得意な生徒の個性を潰す結果に成りかねない(勉強が苦手となれば尚更である)。
次に運動と言う動物的本能を抑制されることによって、向上心や競争意識の低下も考えられる。
さらに「目立つ=いじめの原因」と言う間違えた認識を植えつけてしまう可能性も考えられる。
その結果どうなるか?
自分で考えたことを行動に移すことが出来ない子供が出来てしまうのではないだろうか?
極端に言えば授業で手を上げることすら、いじめの原因になると思ってしまうのではないだろうか?
そしてテストで点数を取ることすら…
これがどれだけ危険なことか。
国や権力者がもし、「公立の小学校に通っているような子供は所詮下流家族だから、いじめの原因を作らせないついでに、我々の邪魔にならないように子供のうちから成り上がれない様に競争意識を排除しておこう」なんて考えだったら…
国が勧めようとしている人権保護法や個人情報保護法など、国民の生活や言論の自由が脅かされる法案が採択された時、彼らは今の北朝鮮のように「お国」のためのロボットに成りえないだろうか?
競争の無い徒競走。それは本当に「いじめ」を排除するためのものなのだろうか?それとも…